読書記録と雑感

読んだ本とか思ったこととかの記録用

卒論の感想

どうでもいいことばっか書いてるけど、一応勉強の記録用だから......

 

いろいろと忙しくしていたのがひと段落したので、卒論のことを振り返る心の余裕ができた。

卒論は心配していたほどは、ひどいものにならなくてよかったです。

先生方には、「まあ学部生としてはよく書けてる方なんじゃないの」的なことを言われて、そりゃ、ほとんどの学部生が就職する中で哲学続けてこうとしてるんだからよく書けてる方じゃないと困るわけだけど。

 

だけども、ひっかかっているところもあって、主査というかずっと私のことを指導し続けてくれていた先生はおおむね良い評価をしていてくれてはいるものの(ていうか先生は甘いから、ほんとうのところどうなのかはよくわからない)、なんかおもしろみに欠けるっていう反応で、それは悔しいところ。

 

先生は、ゼミとか入る前のまだ個人的にそんな知っているわけではない頃から私のことをよく気にかけてくれていた。先生の哲学概論の授業では何回かに一回、授業内のレポート課題が出て、知識の記述じゃなくて、自分の考えを書かせるもので、次の週の授業で良いレポートを書いた人の名前を発表する。これは自慢だけど、私の名前はいつもそこで挙がっていた。いつも教室の最前列に座って(先生のことめっちゃ好きだから)、だけど授業の開始直後からいつもぐっすり寝てた(授業難しいから)私だったが、とにかくそのレポートだけはいつも一生懸命書いていた。

私がいつもそこで名前を呼ばれたのは、優秀とかまじめだからではなく、単純に私が哲学的に考えるということに向いているからだと思う。知識は全くないけど、哲学的に考えるということには知識はあまり関係ない。そういう適性があるところは私の強み、というか、大学で勉強してきた今までの自分を見ても、大学院に受かった要因と思われるところを考えても、そこしか強みがない。もともと勉強に向いてないし、哲学の知識全然ないし、頭悪いし、ものごとを理解するまでに恐ろしく時間がかかる。こういう、研究をしていくためにかなり大切な適性が私には大幅に欠けている。たぶん、大学で一生懸命勉強している人たちは、私がまったくもっていないこういう適性に秀でた人が大多数なのだと思う。

だから、そういう意味で、そういう適性がないのに、ただ哲学的に考えをこねくりまわすのが得意というだけをよりどころにそれなりに勉強頑張ってやりたい学生ということで、先生には面白がられてきた。

 

卒論は、そういう面白みのまったくない論文になった。事実の羅列というか、たぶん誰でも書けるような論文。先生には「サーベイ論文としてならどっかの雑誌に出せるって感じですよ」って言われた。私に対するコメントとしてはあまりよくない評価のコメント、先生もそれを意識して言っていたと思う。

 

でも卒論を書く中で気づいたのは、私が今までやっていたようなテクニカルな思考の使い方は、ちゃんとした内容の哲学研究ではとても難しいということだった。難しいというのは、そうした飛び道具を使うにはそれなりの材料が必要であるという意味で、ちゃんとした哲学研究で、飛び道具使うには、知識の積み重ねが必要なのだ。今までの私のやり方を続けられるほど、私には知識がなかったし、思い返してみれば知識を仕入れようともしてこなかった。

 

ここでそのことに気付けたのはとてもよかったと思う。修士の二年間は自分の基礎を作る二年間にしたいし、そもそも科学哲学とかいう空虚な議論になりがちな分野でどうやって中身をしっかりさせていくのかというよりどころを見つけられるようにしたい。ほんとうはこれは学部生のときにやるべきことなのだけど。

 

卒論の出来は悔しいものだけど、だからこそ次につながるものがあると思って、がんばります。