読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読書記録と雑感

読んだ本とか思ったこととかの記録用

散歩が楽しい話

少し治安の悪そうな繁華街を散歩するのが好きなのはいつからなのかはわからないが、読みたい本リストに遊郭関連の本が登場するのは高校生のころなのでけっこう長い間そういうところが好きなようだ。*1 かつて通っていた中高一貫校が吉祥寺にあって、ヨドバシ裏(近鉄裏というかつての通称で有名)は入っちゃいけないところだと思いながらもなんとなくのぞいてみたいような、少しわくわくしてしまう場所だった。

 

私がそういう繁華街とか遊郭跡とか赤線とか散歩するのが好きなのは、たぶん二つ理由があって一つはそうした場所が「日常の連続にある非日常」だからなんだと思う。なんじゃそれ感があるけど、「日常の連続にある非日常」は私の中でとても大事なキーワードになっている。私の好きなものはだいたいそれで、オーケストラ毎日地味に練習して年に何回か衣装着て舞台にあがるギャップがたまらないなと思うし、科学について知りたいのも私たちの日常生活を可能にしているのは科学技術なのに、科学というものが実は思っているより曖昧で常識ではとらえきれないというのが面白いからだ。

 

受験生のときZ会かなんかの現代文の問題集で、社会学者の山口昌男の『祝祭都市』がでてきた。広末保の「悪場所論」を下敷きにして、農村の村人と周縁の寺社に時折訪れる遊行の民との不可分の関係みたいなのを論じていたような気がする。(もうだいぶ前で忘れてしまった。)その文章を読んで以降、土地や街というものが無機質な色を持たないものではなく、様々な性格をもち、それぞれに影響し合いながらバランスを保つものなのだというイメージを持つようになった。悪場所があることによって日常が維持されるのである。(『祝祭都市』は絶版で高校生の私には手に入らなかったので、大学に入ってから真っ先に図書館で借りた。あまり内容は覚えていないが、「奈良盆地コスモロジー」という論文が面白かった。たしかに奈良の桜井市天理市のあたりは独特の雰囲気があって、旅行先として大好きである。)

 

それは置いておいて、もう一つの理由として、ただの無機質な土地に色がついて見えるというのがある。現在残っている、そういう治安の悪い土地の多くは何十年とか百年以上とかのスパンで風俗街であったり酒場であったりすることが多い。特に東京とかだと、そうやって長い間街として同じ性質を持ち続けているということはあまりない。街路は整理され、土地開発が進み、土地のにおいというのは表面的にしか感じられない。昔の街の性質が残っているところであっても、残そうという人工的な意志が感じられて興ざめしてしまうことがある。しかし、風俗街や赤線跡はそういう土地として保存されることもなく残ってしまっているという色が強いんじゃないかと思う。人はどんどん入れ替わっているのに、無機質な街になにか文化とか有機的な性格が宿っているのは面白いと思う。

 

どういう残り方をしているかも、場所によって異なる。遊郭で例を挙げるならば、東京の吉原は今風の(?)風俗店が集まる所になっている。行ったことないけど、大阪の飛田は100年前くらいから同じスタイルで営業しているらしい。京都の祇園は町家的な建物が綺麗に整い並んで観光スポットになっているが、裏に一歩入ると、怪しげなキャバクラやスナックが立ち並ぶ繁華街になっている。一方で、金沢のいわゆる茶屋街はかつての遊郭としての性質を完全に消し去った、フォトジェニックでザ・伝統文化な観光地化がなされている。金沢の茶屋街はメインの主計町茶屋街と東茶屋街から少し離れた西茶屋街に少しスナックを残すのみで、文化的な意味でのかつての面影はほとんどない。

 

これらの遊郭の中で一番”保存”されているのは金沢の茶屋街なのだろうけど、言ってしまえばかつて風俗店だった茶屋におしゃれな雑貨屋が入り、その間をレンタル着物を着た女の子たちが歩いているのは奇妙な光景に映る。観光客に向けてはその歴史はうまく隠されているし、少なくとも文化的な歴史は保存されていない。(とは言っても金沢は好き)

 

人間活動から自然発生的に生まれる文化は、保存されようとした時点で文化としては終わりなんじゃないかとはずっと思っていて、だからこそ保存されないくせに昔から残っちゃってる文化はやっぱり面白いと思う。大学入ったら都市論を勉強しようと思っていたけれど、結局叶いそうにないな。旅行しつつ、そういうことも勉強できたらいい。

 

ってここまでで1800字超書いてるんだけど、いったい私は何をしているのだろう......。

 

*1:今日散歩していて立ち寄った本屋で角田光代の現代語訳による『曽根崎心中』を見つけて、私がこういう場所を好きなのにははっきりとした理由があるのを思い出した。この『曽根崎心中』の現代語訳が出た時期、私は高校の古典の授業で近松門左衛門による元のものを読んでいた。教科書の注に、物語の舞台である遊郭や刑場のある地域が今の大阪府西成区と呼ばれるところであると書かれており、その当時話題にのぼっていた大阪都構想で再開発のターゲットとされているところであった。江戸の時代にそういう土地であったことが、今もそこを再開発されるべきであるような地区たらしめているということに、歴史を勉強するって大事なんだな、と強烈に感じたことを覚えている。その頃からその土地がどういう役割を持つ場所であるかを気にするようになった。2017/3/12