読書記録と雑感

読んだ本とか思ったこととかの記録用

院試の結果がわからない

今日はこの前受けた某大学院の二次試験の結果発表なのだけど、どこで発表なのかまったくわからない。ちょっとだけ、困った。

 

最近、認識論と存在論の区別めっちゃ大事じゃんと思いはじめている。今までどっちもよくわかんねえなってかんじだったけど、科学哲学の問いに答える上では、その区別をはっきりさせていないと結局無駄な議論をして終わってしまうだけなのかもしれないと思う。

 

例えば、自然法則と科学理論も存在論と認識論から考えるとうまく区別できるように思う。今まではこの二つの区別は程度問題なんだと思っていた。そう説明している科学哲学の教科書を読んだことがある。自然法則がより確からしい現象についての明文化で、科学理論はどちらかというと仮説に近いものだというものである。最近の私は、自然法則は世界の在り方を示していて、科学理論は世界についての私たちの認識を表したものなんじゃないかと感じている。だから、自然法則と科学理論を同列に扱うのはカテゴリーミステイクで、世界の側にある自然法則を人間が認識して定式化したものが科学理論ということになるのではないか。歴史的には、この二つの用語は人によってばらばらに用いられてきて、だからこそ程度問題のように捉えるのが一番それらしくなってしまうわけだけど、実際のところはこの区分けが可能なのではないだろうか。けっこうずっと自然法則と科学理論の違いがよくわからんくて、書いてある本もあまりないので困ってきたけど、そもそもそこちゃんと区別しないと科学哲学できなくない?とも思う。因果関係の実在を認めない哲学者が、法則って言うときって、なんなんだ。そういう人は科学理論か自然法則のどっちかに言い方統一すればよくない?あれってか自然法則と「万有引力の法則」とか言うときの法則って一緒なん?全然わかんねえな。

 

認識論と存在論の区別は、科学哲学上の合理主義と相対主義の対立においても大事だと思う。そもそも私は科学哲学上の合理主義とか相対主義とか言ったときになんの話なのかよくわかっていない。科学が累積的に進歩している、というのは合理主義の主張だと思うし、その反対は相対主義だ。科学哲学上の合理主義と相対主義の議論ってそこだけに限られるのだろうか。科学的真理があるかどうか、というのは合理主義だとあるんだと思うし(だから累積的に科学は進歩していくのだと主張できるのだ。)、相対主義だったらない(あれ、ほんとにそうかな?)。 科学的真理として措定されるものはいろいろ想定できるだろうけど、このとき認識論と存在論の区別が大事になってくる。科学的真理があるかどうか、という問いは存在論の問いである。科学的真理があるとして、それを人間が知ることができるかどうかは認識論の問題である。科学的真理はあるけれど、それを人間は完全には認識することはできない、としたときそれって合理主義なの?相対主義なの?どっちなんよーー!ていうか科学的真理ってなんなんだろう。なにかしらの現象についての科学的言明が一つに定まるってこと?複数の言明があって、どれも真というときは、科学的真理はないのだろうか。

 

ある現象を説明する科学的言明が一つに定まるとするのが合理主義で、相反する複数の言明がそれぞれに真っていうのが相対主義というのはどうだろうか。うまくいくかな?そんなことありえるのかな。相対主義の場合、結果に関して原因が複数考えられるという状況なら可能だと思われる。それは、ありえるかも。

 

とにかく、難しいことがいっぱいで困っちゃうな……。

 

夏休みは、今まで通りの勉強に加えて、ドイツ語と現象学と確率統計をやる予定。ぜったいやりたい。最近入門書を読み始めた現象学は、科学哲学における認識論的問題に関してかなりいいヒントになりそうな気がしてきている。わくわく🤗🤗🤗