読書記録と雑感

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オッカムのかみそりがよくわかんなかったけど勝手に納得した

オッカムのかみそりは倹約性の原理とか思考節約の原理とか、ウィキペディア見たら「ケチの原理」とかともいうらしい。ほんとかよ。

 

オッカムのかみそりはたぶん高校の倫理とかでもでてきて、ずっとよくわかんないなーと思ってたことの一つだ。理論において説明不要なものはできるだけ取り除きなさいというもので、理論選択においてはできるだけ単純に説明している理論を選択せよという指針にもなる。クーンは理論選択の基準として同じような意味の「単純性」を言っている。「単純」だとなにがいいの?

 

オッカムのかみそりを詳しく説明する文章ってあまり読んだことなくて上のことくらいしか知らなかったので、オッカムのかみそりを正当化する根拠ってなんなんだろうってずっと思ってた。だけど、演繹的推論の形で理解するとわかりやすいなと思いついた。

 

それでウィキペディア見てみたらこんな図があった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ockam%27s_razor_ja.png

三浦俊彦の本読むといいらしい。よも

 

これ、どういう図なのかよくわかんないけど仮定から事実を導く演繹的推論だとして、さらに被覆法則モデル的な説明の形だと考える。仮定が説明項で事実が被説明項だということにする。ここでちゃんと演繹的に被説明項を推論できるぎりぎりまで説明項を減らすことを目指すのがオッカムのかみそりなんじゃないかと勝手に理解した。(べんきょうしろ)

 

でも例えば

<被説明項>

「大砲の最大射程距離を得るのになぜ発射角度は45°になるのか」(これはなんかの本の被覆法則モデルのところででてくる例だったと思う)

<説明項>

運動法則・重力法則・発射角度・初速・重力・神の意志

このときオッカムのかみそりを使って、説明項から神の意志を消すのと、逆に神の意志しか残さないことのどっちもありなんじゃなかと思う。

 

いや神の意志は極端だし、簡単に反論できそうだけど、こういう例ってほかにもっとうまいのがありそうな気がする。そういうときにも決定不全性って言えんのかな。あーだけど、競合する理論が説明項としてもともと共存してることはありえないか。

よくわかんないやーー