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読書記録と雑感

読んだ本とか思ったこととかの記録用

Anjan Chakravartty "Metaphysics between the Sciences and Philosophies of Science"

4月の後半に5月病に襲われたり(言い訳)、ゼミ発表が二つ重なったり(言い訳)、教育実習の準備をしていたり(言い訳)してのろのろと読み進んだ。

 

この前読んでた科学における形而上学の論文でAnjan Chakravarttyって名前がいっぱいでてきたので、そのChakravarttyの文章を読んだ。これは2009年にでたNew Waves in Philosophy of Scienceに入っている。

 

導入というか入門のような文章でなんとなく言いたいことそれなりにわかったと思う。相変わらず英語苦手だし、最近日本語もかなりだめなことがわかってきたので文章を読むのが厳しい。自分の理解していることをあまり信用できない。メモをとりながら読んだのでいつもよりはましに読めた。

 

読んで私が理解したところでは「けっこうこれかもしれないな!!」と思った。高校生のときに「お前のやりたいことは科学哲学だよー」って言われて「そうかー」と思ってなんか哲学専攻きたけど、本とか読んでてもいまいち、しっくりこなくて、私の知りたいことはどこに書いてあるんだろう、どういう分野の人たちがやってるんだろう、よくわかんないなーって感じだった。

 

この本における主張は、科学は必ず形而上学的な要素を含んでいるというものだ。例えば、観察から法則を導くにしてもなにを観察するかという選択や観察結果をどのように解釈するかというのはアプリオリに決められるし、直接的に観察できないもの(電子とか)、それとか空間とか時間とかいう概念を用いるのも形而上学的前提を基にしている。科学の本性を知るにはこれを認めなくてはならない。

 

こういうことって、もちろん論理実証主義のあとでずっと言われてきたことで、なにを今さら、と思うし、だれか問うてきたんじゃないの、と思ってしまう。でもやっぱり形而上学はこの分野でなんとなく避けられてきたし、はっきり形而上学という言葉を持ち出してその部分自体に切り込むことは、あまりされないできたのかな。

 

最近の分析形而上学の盛り上がりで堂々と形而上学できるようになって、じゃあそこに切り込んでいきましょう、というのがこの科学における形而上学の新しさってことなのではないかと思っている。いや、ほんとよくわかんないよ!?!?よくわかんないから適当なこと書いちゃうよ~~!

 

ちょっと疑問に思ったところが最後の方にあって、方法論的相対主義とかいうのを持ち出して、科学がどんだけ形而上学的かは決めらんないし人によって解釈のしようがあるよー言っていた。そうやって言い出したのはどういうことなんだろう。Chakravarttyはほんとにそう思って書いてんのかな。

 

まじで勉強やばくて、不安な気持ちなのでとりあえずアマゾンでいっぱい本を注文した。なんにもよくわかんないことばかりで本当に困る。

 

この前のゼミでアプリオリがどうのって文章で、私がアプリオリをまったく理解していないっぽいことが露呈したので今日ユダヤ倫理学者にきいてみたらけっこう誤解していたことが分かった。今まで「アプリオリ」は「経験に先立って与えられている」とか辞書的な意味でしか理解していなかった。なので私は「経験に先立っているってことは、その後の経験で否定されることがないってことだから経験に先立っており、かつ真であるともいえるのでは??」と思っていたのだけど、ここでの「経験に先立つ」って「経験の基になる」という意味が強いらしい。だからカテゴリーの話とか出てくるんだなーってやっとつながった。

 

とても反省したのでがんばって勉強します。