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読書記録と雑感

読んだ本とか思ったこととかの記録用

A. F. チャルマーズ『新版 科学論の展開』(高田紀代志・佐野正博訳)

この春休みに何冊か科学哲学の入門書を読んだ。
内井惣七『科学哲学入門 科学の方法・科学の目的』
伊勢田哲治疑似科学と科学の哲学』
内山康夫『科学哲学入門 知の形而上学

ほかに読んだことある科学哲学の入門書はサミール・オカーシャ『科学哲学』と戸田山和久『科学哲学の冒険』、野家啓一『科学哲学への招待』で、この次は小林道夫の『科学哲学』を読む予定。ほんとは西脇先生の『科学の哲学』を一番読まなきゃいけないのかもしれないけど分厚くてこわい。

一昨日まで九州まで旅行に行っていて、ひたすら普通列車に乗っていた(1日に19時間乗っていた日もあった)ので、電車の中でこの『科学論の展開』を読み進めた。時間があったわりには読むのに時間がかかってしまった。

この本の一番の特徴は科学史的な事実をふんだんに用いながらそれぞれの論について詳しい説明を与えているところではないか。今まで読んだ科学哲学の入門書の印象として、科学史的な記述はかなりあっさりしていることが多かった。読者として文系学生を想定に入れた入門書だからなのかも知れないけど、そのせいでそれぞれの論がなんとなく宙に浮いてしまうように思う。しかしこの本は科学史の記述が比較的詳細で、過去の科学哲学者たちがそれぞれどのような科学の出来事からその着想に至ったのかがわかりやすい。

また、著者はロンドン大学(のいわゆるLSE)出身とのことで、ポパーラカトシュについて詳しく書かれていた。並行してラカトシュ・イムレの "Falsification and the Methodology of Scientific Research Programmes" を読んでいたので相乗効果で理解が増したように思う。

ポパー、クーン、ラカトシュについて最近少しずつ知れてきて、彼らの描く科学像をなるほどと思う反面、科学の形而上学的(?哲学用語あまりよくわからないから使いたくない)正しさについての言及をすることはできないのだろうかと疑問を持ちたい。帰納的に作られた科学理論が行う予測の正当性を論理的に言うことは難しい、だからといって完全な可謬主義(あー、またよくわかんない言葉……)になってしまっては数百年間科学という営みが行われてきて、なおかつそれが現象の予測についてけっこううまくいってたことの説明はどのようにすればいいのかわからなくなってしまう。池田清彦が『構造主義科学論の冒険』で自然法則は現象の側ではなく我々の意識のうちにあるのだ、みたいなこと言っていたけれど、そうした考えになってしまっては科学がそれなりにうまく予測できていることの説明はどのように為されるのだろう。

最近はけっこうそういうことを考えていて、科学的実在論の議論が少しヒントになるのではないかと思ったりとか、構造主義の入門書を読みかけていたりとか、ファイヤアーベントの本も読みたい。